「恐ろしい!」
15歳のときのこと。ライバルであり親友でもあった男が、突然、テニスを辞めました。彼はテニスが大好きでした。でも、辞めたのです。
親御さんの理解がなかったわけではありません。受験勉強等の不可抗力でもありません。テニスを続ける環境にはあったのに、辞めたのです。彼の辞め方を一言で表すと・・・
「悲劇!」
私も、「こういう形でテニスを辞めることがあるんだ!」と、人の難しさ、複雑さ、奥深さを知る こととなりました。
彼の名はTくん。7階建ての個人病院の次男坊として生まれ、私と同じく9歳からテニスを始めました。背は高く、ハンサムで勉強もできる。タッチショットが得意で、ボールの扱いが上手い。いわゆる、「才能がある!」タイプでした。
ここまでそろえば、「性格は悪いんでは?」と、突っ込みを入れたくもなりますが、これがまた最高。いつも笑顔。最高にフレンドリー。威張ったところ一切なし。当然のことながら誰からも好かれ、私が女性だったら間違いなく「ボーイフレンドにしたいNo.1!」に位置するほど完璧な友人だったのです。
そんなTくんとは、同じテニスクラブで、同じコーチに習い、一緒の試合に出場。ダブルスも組み、“スクスク”とテニス道を歩んでいたのです。
が・・・予告なしにレールポイントを動かされ、なすすべなく行き先を変えられた電車のように、突然、彼はテニスから離れていきます。
それは、アブラゼミの“ミィ~ン、ミィ~ン”という大合唱で、相手のボールを打つ音が聞こえなくなる8月初旬。夏の大会に向け、真剣度合いの高い練習試合を行っているときに起こりました。
ゲームカウント5-3。30-15。あと2ポイントで私の勝利。「ここは勝負だ!」と、強いファーストサービスを打つと、案の定、Tくんのリターンが短く返ってきます。
素早く反応した私。若干、バック側に弾んだそのボールを、すかさず両手打ちで、クロスコートにアプローチ。そのままネットに前進し、Tくんのバックハンドパスを待ちます。
「後がない!」と感じたのでしょう。私と同じ両手打ちバックハンドのTくんも、渾身のストレートパス。そのボールは、サイドラインをなぞるように飛んでくるすばらしいものでした。
ですが、見越していた私は、サービスボックス内(デュースサイド)に会心のドロップボレー。Tくんのいる場所からは対角線上に落ちたため、まさに、絵にかいたようなポイントを獲得したのです。
そのときです!気温が35度を超えるため、ビール瓶につく水滴のような汗を額につけながら、我々の試合を見守っていてくれた30代のコーチが、血相を変え、大声で怒鳴ったのです。
「若いうちから、そんな姑息なショットを使うな!」
「我ながら最高のドロップボレー!」と、悦に入っていた私の心臓が、“ドキン”と一度大きく鳴りました。コーチは、そんな私の動揺などお構いましに続けます。
「ドロップボレーや、ドロップショットなんてものは、大人になってから打つものだ。今は、“ガンガン”打ちなさい!」
その言葉を聞いた瞬間、何かが私の中で弾けました。そして、次には心の中で反論。
「おかしい! 『子供の頃からドロップボレーや、ドロップショットを打っていた!』と、あのマッケンローは言っている。だから18歳でウインブルドン準決勝に進出したときも、コナーズ相手に打てたんじゃあないの? 大人になってから打てと言われても、練習なしで打てるほど甘いわけないじゃん!」
もちろん、こんなことを考えたそぶりは一切見せず。「はい」と、コーチには色よい返事。そして、その後の練習、練習試合、試合でも、私はドロップボレーを打ち続けたのです。
ところが・・・
「怒鳴られたわけでもない親友Tくんが、その後、ドロップボレーも、ドロップショットも打たなくなってしまったのです!」
ビックリです。コーチに私が怒鳴られる以前は、「マッケンロー!」と声を出しながら、ドロップボレーを打っていたのがTくんだからです。