「あなたは変われることをご存知ですか?」 「瞬間直し(R)実践会」は、 あなたのテニスのセカンド・オピニオン(第2の意見)です。 あなたはテクニック、メンタル、フィジカル、 さらには、戦略、戦術等の点検・強化を行ううちに、 “新しいあなた”と出会うことでしょう。 そして、新たな成長曲線を描くのです。 元オリンピック強化スタッフ・元日本代表コーチ 田中信弥 Shunkan Naoshi Jissenkai

田中信弥とは?

田中信弥

田中 信弥(たなか しんや)
日本プロテニスランキング最高位7位。
(当時、NO,1は松岡修造氏!)

-ビデオクリップ-
↓ クリックすると動画再生できます。
1) テニス界の常識をひっくり返す衝撃映像!
2) 田中プロのスーパーショットを見る!
日本のトップジュニアとして活躍後、法政大学在学中にプロ選手を連破し、プロに転向。
その後、全日本選手権ベスト4、全日本ローンコート選手権ベスト4、関東オープン準優勝、
神奈川オープン、東北オープン優勝等を収める。日本プロランキング7位。

賞状 現役引退後は、伊達公子氏のアメリカ遠征に2年連続同行し、
ナショナルコーチ及びオリンピック強化スタッフを歴任。
男女日本代表選手の指導、ジュニア日本代表の育成に従事し、
(財)日本テニス協会強化副委員長も務めました。
更には、日本体育協会テニス上級コーチも取得。

プロサッカーチーム、鹿島アントラーズとの提携ではじめた
「鹿島アントラーズテニスクリニック」では、月2回、たった90分のクリニックで、
進学校生を地元史上初めてインターハイに出場させる。
地元では「オリンピック選手を輩出したに等しい」との評価を受け、
その模様は雑誌「T・テニス」にて3回にわたり掲載されました。

又、年間200回に及ぶオンコートテニスセミナーを全国で開催し、
「脳の仕組み」、「体の仕組み」を利用した最短時間上達法 「瞬間直し(R)」 を伝授。

その指導法は、NHK中国地方版ニュース、NHK鳥取地方版ニュースにて
「田中信弥の指導法」としても紹介されました。
その他、NHK全国版技術特集、TV東京「おはスタ!」、東海TV等々に多数出演。
雑誌「T・テニス」においては、「ファイルレッスン(カラー16ページ:読者ランキング1位)および
「基本の強化書(カラー6ページ)」を大好評連載しました。
【田中信弥からのメッセージ】

改めまして、こんにちは。田中信弥です。
私がテニスを始めて、はや30年以上。
その長いテニス歴の中で、日本プロランキング7位、オリンピック強化スタッフとしての活動、
日本代表コーチとしての海外遠征など、数々のシーンを経験してきました。

会員様限定セミナーの風景 そして現在は、延べ2,100名以上の会員様に対して、
テニスの最短上達法を提供するようになっています。

しかし、このような活動は
初めからうまくいったわけではありません。
それどころか、紆余曲折の極みを経験し、
やっとの思いでたどりついたというのが正直なところです。

そこで、あなたがご入会される前に、
“瞬間直し(R)実践会と田中信弥の
これまでの経緯”を知っておいて頂いた方が
より親近感を持ってくださるのでは?
と考え、
この場を借りてご紹介させて頂くことにしました。楽しんで読んでくだされば幸いに存じます。

私は子供の頃からテニスだけは探究心旺盛でした。(勉強は淡白でした。(笑))
それが高じて、何とか念願のプロになるのですが、
そこには私が想像していた世界とは別の世界が存在していました。

右を向いても左を向いても私より強い方ばかり。
そのため、「プロの先輩なら、私がいだいているテニスの疑問に答えを出してくれるだろう。」
と期待していたのですが・・・・・

「明確な答えをくださる方は一人もいなかったのです。」

ほとんどのプロが感覚的な教え方してくれず、
感覚の優れていない私には理解できないアドバイスばかりだったのです。

例えば、「ストロークの打点は前で!」と言われると、
「一体、どれくらい前にすれば良いのか?」、
「どうしたら前になるのか?」
こんな疑問が私の頭の中には浮かんできます。
「そこで、どれくらい前にしたら良いのですか?」
と質問すると、「・・・・・」 このように明確な答えがもらえなかったのです。

疑問が晴れないままコートに立ち続ける日々。
当然、上達するはずありません。
そして、上達しないと・・・・・
「信弥は才能がない。」
「引退して、違う職業についたら?」

こんな辛辣な言葉が飛んできました。
(20歳過ぎの若者には厳しい言葉です。その影響は大きく、
ボーカルなしの音楽しか聴けなくなったほどです。軽い人間不信に陥ったのです。)

しかし、そう簡単にテニスを辞めることなどできません。
「子供の頃からテニスばかりやってきた私が、他の職業につくということは並大抵のことではない。」
これだけは、心のどこかでわかっていたからです。
そこで、

「答えがもらえないなら、自分で解決しよう。」

このように決意し、テニス上達情報を片っ端から集めては分析することにしました。

雑誌、書籍、TVで、世界一流選手のプレーを研究。
国際大会は、極力、見に行くようにしました。
かき集めた情報を今度は自らの体を使って実践。
トッププレーヤーのフォームをマネし、
「なぜ、打点が前になるのか?」
などを解明していくようになっていったのです。

もちろん、鏡に向っての素振りは日課。
気がついたら、朝日が昇っていたことも一度や二度ではありません。
極めつけは、トーナメント出場のために宿泊したホテルで
「ウォッ、ウォッ」と気合を入れながら窓ガラスに向かって素振りをしていたら、
「うるさいそうです。」とフロントから注意を受けたこともありました。
(隣の部屋の方が苦情を言ったのでしょう。(笑))

本当に地道な活動ばかりでしたが、おかげ様で悩みは年々解決されるようになっていきました。
それにともない、ランキングも急上昇していったのです。
そして、そんなプロ生活を8年間続けた時、私はある一つの答えにたどり着きます。

「才能ある人は、感覚だけで上手く打つことができる。
しかし、多くの人は感覚だけでは上手く打てない。
そのため指導には、感覚的アドバイスを論理的に変換した
“明確なアドバイス”が必要。」


*(明確なアドバイスとは、「ストロークの打点は前で!」ではなく、
  「肘をおへその前にセットして打てば、ストロークの打点は必然的に前になります。」

というように、
「どこに、何を持ってくれば、うまく打てるようになるのか?」
等を具体的に示したものを指します。)

私はこの考えを、現役引退後に就任したオリンピック強化スタッフの立場からも声高に叫びました。
しかし・・・・・

「フィール(感覚)が大事だ。感覚がなければテニスはうまくならない。」

これが、最先端の現場からの答えでした。

確かに世界トップ選手になるなら、研ぎ澄まされた感覚が必要でしょう。
ですが、「世界トップ選手は無理でも、テ二スがうまくなりたい!」
このように思っている研ぎ澄まされた感覚を持っていない方は
どうしたら良いのでしょう?
(「テニス上達は諦めろ!」とでも言うのでしょうか?)


私は自分と同じ境遇の方を放っておくことが出来ませんでした。

「感覚的に理解できなくても、論理的に理解できれば、
才能のある人しか得られなかった素晴らしい世界を見られるようになる。
それには“明確なアドバイス”が必要。」


改めてこの信念に突き動かされた私は、
引退後、多くのウィークエンドプレーヤーの方とディスカッションを行い、
私の考え方が正しいかを確認しました。
そして出てきた答えは・・・・・

「“明確なアドバイス”が不足しているため、
テクニック改善が思うようにいかないんです。」
by ウィ―クエンドプレーヤーの方


こんな危惧していた通りの答えだったのです。

「自分と同じような人が全国にはたくさんいる。
ならば、私が克服して来た経緯をお伝えしたい。
そして、一人でも多くのウィークエンドプレーヤーにテニス上達の本当の楽しさを実感してもらいたい!」

抑えきれない衝動を感じた私は、時間の許す限り、全国行脚を行いました。
その時間、およそ年間200日。
おかげ様で、私の持論は全国のウィークエンドプレーヤーに支持され、
リピーターの方の増加とともに、以下のような有難い言葉を頂くようになったのです。

「セミナー参加者様が、ビッシリ書いてくれた感想です。」 「田中さんの指導はわかりやすい。
出来ない者の気持ちを理解してくれるところも
ありがたいし、誰でも出来る解決策を
もらえるところも素晴らしい。」


「セミナー参加者様が、ビッシリ書いてくれた感想です。」

この言葉は、何にもましてうれしいものでした。
そして、その後も順調に、上場企業であるテニスメーカーのアドバイザー、
日本一のテニスショップアドバイザー、複数のテニスクラブ、
テニススクールのアドバイザーなどの仕事を通して、
多くのウィークエンドプレーヤーの方々に私のスキルを提供する機会に恵まれたのです。

私はこの活動を続けるうちに、「これこそ、自分の天職ではないか?」
このように考えるようになりました。
打てなかったショットを打てるようになった方が、
「ありがとう、田中さん。」という声をかけてくださること。
今まで1回戦負けばかりだった方が、
「初めて準決勝まで進むことが出来ました。」と、顔を高潮させ報告してくださること。
こんな感謝の声を聞くことが、生き甲斐になっていったからです。

そして、「人様に喜んで頂く仕事を、一生、続けられたら幸せだろうなぁ〜。」
こんな風に思うようになっていったのです。

しかし、“好事魔多し”とはこの事でしょう。
あろうことか、あまりの忙しさに私は肺炎になってしまったのです。
初めは、ただの風邪だと思いました。
ですが、1週間以上も40度以上の熱が下がりません。
のどの痛みは限界を超え、食事はおろか水分を取るのも一苦労。
挙句の果てには、扁桃腺が炎症を超え腐りかけてしまったのです。

あまりの痛さに耐えかね、3度目の診察に病院に出かけたのですが、
その時の光景は今でも忘れられません。
私の肺のレントゲンを見ていた先生の顔が急に曇り、私の目を見据えながら一言。

「今すぐご両親に連絡しなさい!」

心臓が、「ドキッ」と鳴りました。
「子供でもないのに親に連絡?ひょっとして、ガン?
私に本当のことを言えないから、両親を呼び出すつもりだろうか?」
こんな風に疑ったほどです。(TVドラマの見すぎでしょうか?)

幸いガンではありませんでしたし、命に別状はありませんでしたが、
肺炎ですから絶対安静。ベッドから動けない1週間を過ごしました。

もちろん、「退院したら、ハイ元通り。」とも行きません。
少し激しいプレーをすると息苦しくなり、長時間のテニスは出来ませんでした。
肺活量テストも、一般成人平均値を大きく下回る始末。
「テニスで飯を食うことが、再び出来るだろうか?」
こんな不安から逃れられない毎日をおくりました。

悪いことは重なります。
肺炎障害がひと段落した頃、今度は交通事故に巻き込まれたのです。
アドバイザーを務めていたテニススクールの社員さんに自宅まで送って頂いた時のこと。
青信号を直進していた我々の車に右折車が飛び込んできたのです。

「ガッシャ〜ン」

携帯電話で話をしていたため、車が突っ込んできた瞬間を私は見ていません。
しかし、プレス機で何かをつぶしたような音がしました。
運転手は胸部打撲のため呼吸障害に。私は持っていた携帯電話で顔面を殴打。
しばらく人前に出られない顔になったのです。

実をいうと、車に乗り込む直前に仕事の電話がかかり、
シートベルトをすることなく私は助手席に座りました。
しかし、事故が起こるほんの15秒前、検問を行っている警察車両を発見。
とっさに、「あっ、運転手さんに迷惑がかかる。」と私は思い、
シートベルトをかけたのです。

これが、命を救ってくれました。
事故後、血だらけの顔をハンカチで押さえながらフラフラと歩道に向って歩き、
電信棒のそばに倒れ込んだ私に向かって警察官の方が一言。
「ひどい事故だね。シートベルトをしていなかったら、
フロントガラスに頭から突っ込んで死んでいたよ。」
そうです。私の命は検問によって守られたのです。
(検問を発見していなければ、私は生きてはいなかったでしょう。)

これら一連の病気や事故は、私の思考体系を変えました。
「病気、怪我、年齢には逆立ちしたって勝てない。全国を飛び回るにも限度がある。
これでは長きに渡ってウィークエンドプレーヤーの方を救うことは出来ない。」


このように考えるようになったのです。真剣に悩みました。そして・・・・・

「どうしたらより確実に、多くのウィ―クエンドプレーヤーの方に
私のノウハウを伝授できるだろう?」


寝てもさめても、この質問が頭の中を離れないようになったのです。

そうは言っても、すぐに答えが出るようなものでもありません。
私は、再び全国を回る日々に戻っていったのです。
しかし、病気、事故から3年経ったある日、私は運命の一言に出会います。
当時、大変お世話になっていた先生の主宰するセミナーで自分の悩みを打ち明けたときのこと。

「先生、どうしたらより多くのウィークエンドプレーヤーの方々に、私のノウハウを伝授できるでしょうか?」

先生はおっしゃられました。

「田中さん、誰もが、『ノウハウ、ノウハウ』 って言うけれど、
ノウハウっていうのは紙に書いてあったり、
映像に残っていなければノウハウとは呼べないんですよ。
つまり、書籍DVDなどになっていなければ、本当のノウハウとは言えないのです。

田中さんに本当にノウハウがあるなら、今すぐ、DVDに収録しなさい。
そして、あなたが自分の境遇に似ていると言っている
ウィークエンドプレーヤーの方々に早く見せてあげてください。
それこそが田中さんしか出来ない使命でしょう。」


頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けました。
書籍、DVDに落とし込むという発想は、現場主義の人間には出てこなかったからです。
しかも、「頭の中に持っているノウハウはノウハウではない!」の一言。
「自分のノウハウをどのように多くの方に伝えるか?」
その答えは、「DVDや書籍に落とし込み全国に広める。」これだったのです。

答えを得た私は、
「ノウハウは進化させなければなりません。
そのためには会員制がいいでしょう。
会員制ならノウハウが進化したとき、すぐに情報伝達が会員様にできますから。」

先生のこのアドバイスを生かし、「瞬間直し(R)実践会」 立ち上げを決意したのです。

立ち上げまでに3年。
準備には想像以上に労力がかかりました。
ですが、2004年4月、何とか「瞬間直し(R)実践会」を発足させることが出来たのです。

「瞬間直し(R)実践会」を主宰してからは、会員様から鋭く深い質問を頂くようになり、
それが私のノウハウをさらに高めてくれ、双方が成長していくという
理想的な組織運営が続いております。


しかし、この状況に私はまだまだ満足していません。
「さらに勉強を重ね、他では絶対に提供できないテニス上達情報をこれからもお伝えしていく。」
こんな気持ちで一杯です。

大変、長いお話を聞いてくださり心より感謝を申し上げます。
今回の出会いにより、あなたのテニス上達が革新的に進むことを願ってやみません。

是非、一緒に究極のテニス上達を目指そうではありませんか!」

田中信弥